アンパンマンの作者・やなせたかしさんが94歳でお亡くなりになりました。
いろいろなニュースで取り上げられているので今更感はありますが、
当ブログではアニメ、カメラ、音楽を中心に取り上げているので
今回は「ロカビリー」と意外な接点があったことを書いてみようと思います。
やなせたかしさんと音楽との関わりを考えると、
「手のひらを太陽に」が有名ですが、これが放送されたのは1962年。
ロカビリーが流行したのはそれよりも前になります。
1953年に三越を辞めた後、専業漫画家になるもなかなか芽が出ず、イラストを描く傍らいろいろな仕事をしていました。そのひとつが、週刊誌のインタビュアー兼イラストレーターという仕事でした。
ロカビリーが日本で爆発的にヒットしたのは1958年2月の日劇ウエスタン・カーニバルであることはよく知られていますが、それよりも2年前に既に日本ではロカビリーを歌って爆発的に人気になっていた歌手がいました。
それが、元カントリー・バンド、ワゴン・マスターズのボーカルを担当していた小坂一也です。エルヴィスのデビューと同じ年に「ハートブレイク・ホテル」をカバーして大ヒット、紅白歌合戦にも出場する人気ぶりでした。
小坂一也の人気が出すぎて、ワゴン・マスターズが単なるバックバンドになってしまい、歌謡曲も歌うようになるとバンドの方はお払い箱になってしまいましたとさ。トホホ(写真は小坂一也後援会、第1回の会報です)
ワゴン・マスターズは以前のエントリーでも取り上げたとおり、
メンバー加入→卒業を繰り返すバンドとしても有名でした……。
AKB48みたいにメンバー加入→卒業を繰り返すグループは半世紀以上前から存在していた
実はこの頃、やなせたかしさんは人気絶頂の小坂一也にインタビューした記事が週刊誌に掲載されていました。
1956年の週刊東京に掲載された「天与の美声 小坂一也」という記事です。
小坂一也と三橋三智也を比較したもので、小坂一也のインタビューを中心にまとめられています。
それがこちら。
うーん、うまい!
木訥とした感じが良く出ていますね。
そういえば、三橋三智也といえば「リンゴ村から」「哀愁列車」なんかが知られてますけど、この歌をよく知っているのは60代以上のはず。それよりも年下の人には、スナック菓子「カール」のカールおじさんの曲「いいもんだぁなぁ〜 ふるさとぉ〜は〜」だと思い出す人が多いでしょう。
この歌、一番はじめに歌っていたのは三橋三智也ではなくて、
寺本圭一さんというカントリー歌手でした(写真は明治製菓のHPより)。
実はこの寺本さん、小坂一也さんの先輩に当たる方なんですね。
昔、インタビューさせていただいたことがあるんですが、
テンガロンハットをかぶり、カントリーソングを
こよなく愛していることがよく伝わってきました。
いろんなところでつながってるんですねー。
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