AKB48のセンター、前田敦子が卒業した、ということで
涙したファンも多かったかと思います。
AKB48みたいに、メンバーが加入して卒業するも、グループの活動は
新メンバーを加えて継続していく、という形はモーニング娘。あたりからよく見られるようになりましたね。
古くは、AKB48のプロデューサー、秋元康が手がけたおニャン子クラブにも見られます。
しかし、実は半世紀以上前にも同じようなことをしていたグループが存在していました。
それが、1950年代に一世を風靡したカントリー・バンド、ワゴン・マスターズです。
1953年に発売したシングル「ワゴン・マスター」は大ヒットし、
リード・シンガーだった小坂一也はソロ歌手としても成功、後に映画俳優になりました。
日本テレビに入社して「光子の窓」「シャボン玉ホリデー」「スター誕生!」「24時間テレビ」を成功させた、井原高忠氏がリーダーをしていました。
いろんな人が井原さんを評してます。なかなか面白かったですよ↓
井原高忠 元祖テレビ屋ゲバゲバ哲学
ホリプロを設立した、堀威夫氏も一時在籍。堀威夫氏の言葉から、当時の様子を見てみましょう。これは、1951年末頃のお話です。
ワゴン・マスターズといえば、NHKの「バンド・タイム」をはじめ、各所で行われるジャズ・コンサートや、ダンス・パーティの常連で、当時としては文字どおりプロの一流といわれた。
慶応や成城の大学生が中心になって編成されるワゴン・マスターズは、プロのバンドのくせに不思議な伝統を持っている。メンバーそれぞれが大学卒業と同時に退団し就職をする、というもの……(「いつだって青春」より)
わが人生のホリプロ (小学館文庫)
いつだって青春―ホリプロとともに30年
つまり、メンバーは大学卒業時に抜けて、
別の道へ進む伝統があったということです。
AKB48は一見、新しいことをしているように見えても、
実際はそうでもないんですよね。
ヒントは昔にいくらでも転がっているという意味で、
温故知新は重要だと思います。
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